第三章 ほの暗き深淵の底から


-3-

 その日も少年、エトワール・ブラウンは元気よく学校から帰宅してきた。
「ただいまかあさん!」
「お帰り、エト」
 鞄を置きながらエトはカレンダーを見つめる。

「いよいよ明日だね」
「そうね」
 エトの表情は一片の曇りもない、実にいい笑顔だ。
「わくわくするなぁ…明日は、いいよね」
「明日の学校はどうするの?」
「え…あぁ…うーーーん」

 エトの母親は以前浮かべたのと同じ笑顔でこういう。
「エト、お前最近よく勉強してるって先生が言ってたわよ」
「え、そうでもないかなと思ってるんだけど」
 母親は笑顔のまま続ける。
「明日はお前の先生も見に行きたいって言ってたわよ。みんな連れてね」
「え…それって…」
「社会科見学って名目だって。お前いい先生を持ったわね」

 エトは一瞬だけなんでそんなこと母さんが知ってるのかと疑問に思った。
「でも先生そんなこと一言も言ってなかったよ」
「そりゃそうよ、明日学校行ってから突然言う予定だったんだって」
「なんでまた…」
「お前の先生、実はあたしの担任だったのよ」
「え?ホント?」
「あの先生は昔っから科学が大好きでね。それとみんなをびっくりさせる
 のが大好きなのよ。だからあたしも今の仕事についたってわけ」
 
 エトは思い出した。数ヶ月前、母親が話したこと。
 それは母親がロケットの整備などに携わっていること、そのロケットの
中には人類を救うための巨大核爆弾が積まれていること、核爆弾が上手く
命中すれば地球は救われるということを。

「そーかー。母さんが全部知ってたのは先生からの情報もあったのかー」
「ま、母さんを甘く見ない方がいいわよ ?」
 そういうとエトの母親はいたずらっ子のような笑顔を浮かべる。
 まるで子供だな、と少しだけエトは思う。けどそれは、全然悪い気分
じゃない。
 
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 一人の少年とその母親が希望に胸を膨らませていた時、真逆の感情を持つ
人々が地球の裏側の方の国に集まり始めていた。意見というのは一つである
必要はないだろうし、別にそれは悪いことではない。
 世界の多くの人々は素直に「核爆弾使って彗星そらす→地球助かる」と
いうことを単純に喜んでいた。それも悪いことではないだろう。
 ただ、どちらが悪いわけでもないのに意見の食い違いがあるから、困る。
 むしろわかりやすい「悪」でもいてくれた方がどんなに楽なことか。
 
 広島市。
 かつて核爆弾を兵器として使われ、核による多大な被害を受け、それに
対する抗議を行ってきた人々が、今回のフランスのロケット打ち上げに
反対するデモ活動を行っていた。

「フランスは、核兵器の打ち上げを、止めろー!」
「やめろー!!」
「宇宙空間での、核兵器の実験を、直ちに止めろー!」
「やめろー!!!」

 普段の抗議集会より、何故か今回の抗議集会は集まる人が少なかった。
 核兵器による被害を受けた人やその家族らの中でもも、地球が救われる
ことと核兵器廃絶の両方を天秤にかけて考えたとき、意見が分かれるのは
無理もない。
 特に小さな子供がいる家庭などでは、未来に子供たちが生き残れる
可能性に期待を持つのは当然のことではないだろうか?

 それでも被害者の中にはやはり許されないと思う人がいるのもまた、
仕方のないことであろう。デモ隊は普段の半分程度の数ではあったが、
それでも抗議の声を力いっぱいあげていた。

 それは、突然だった。
 参加者の視界の一部が、突然黄色に染まる。
「…え?」
 デモ隊の中の一人が、誰かから卵をぶつけられたのだ。
 ざわめくデモ隊。今までにこんなことはそう多くあったわけではない。
 
「死にたいならてめぇらだけ勝手に死にやがれ!」
 群衆の中から叫び声が聞こえた。それを皮切りに大量の罵声が浴びせら
れ始める。デモ隊に浴びせられる罵声の量は次第に増える。護衛の警官
たちも不安を隠せない。下手をすると自分たちも襲われるかもしれない。
襲ってくるなら対処するしかない。
 銃に手をかけようとする若い警官に、中年の警官が銃の上に手を置き、諭す
ような眼で若い警官を見つめ、無言で首を横に振る。

 不意に、デモ隊の中の30代ぐらいの小太りの男が叫ぶ
「おいこら卑怯者 のネトウヨども、文句があるなら正々堂々とでて来い!
 どーせてめぇらに度胸などあるわきゃねーだろーがよ」
 半笑いの男。罵声が止まる。デモ隊、警官、群集も男を無言で見る。
 群衆の中から一人の男が真っ直ぐデモ隊に向かって駆け出した。それを
きっかけに群集の中から複数が駆け出そうとする。
「止まって!止まってください!」
 婦人警官が必死に声を上げる。一触即発。どちらかにけが人が出ても
おかしくない状況。
 
 不意に、一人の少女がゆっくりと歩いてきた。
 中学生だろうか。ピシッとした制服、黒髪が印象的な少女は、まるで
群集もデモ隊も警官も無視するかのように堂々と歩みをすすめる。喧騒が
少しずつ静かになり…


 周囲の時間が止まった


 …かのようだった。不意に、少女が口を開く。
「貴方に、文句があります」
 男に対して真っ直ぐに視線を向けて、凛とした表情で堂々と。

 30代の男はその真っ直ぐな視線に耐えられないようだった。それでも
何とか眼をそらしながらいう。
「あるならなんだよ、お前もネトウヨか。この国終わってるわ」

「意味がわかりませんが、貴方に文句のある人はネトウヨとかですか?」
 男は一瞬黙って
「…そうだ」
 と小声で言う。
 
「私は、核兵器を人に対して使うことには反対です。でも私に小学生の妹が
 います。妹や家族、世界の人々が助かるために核爆弾を使ってでも地球を
 救おうと一生懸命にやってくれている人たちが今、日本の裏側にいます」
「へ?それで?」
 男は半分涙目になりながらますます小声で言う。
 
「貴方は、何のためにこのデモに参加しているんですか?」
「…何のためって…核兵器の廃絶の…」
 もう殆ど男の声は周りには聞こえない
 
嘘だ!
 貴方は勝手に他人をバカにしたいだけだ!
 そうやって他人を馬鹿にして、優越感を得たいだけなんでしょ!
 貴方が一番の卑怯者だ!」
 
 少女の気合の入った声が場に広がり…
 不意に拍手が起こる。デモ隊、警官、群集のどこから聞こえるのかもう
わからない。
 
「てめぇ…覚えてろ…」
「平和反核運動の参加者が、なんかするの?まさか肉〇オ〇グ ?」
 突然一人の若い男がひょこっと顔を出し、いきなりシャッター音。
「てめ何しやがる!」
「この子に危害を加えるようなことがあったら、警察より先にお前を…」
 若い男に不意に中年の警官が近寄る。
 
「貴方の気持ちはわかる。だが、それは我々の仕事です」
「…しかし…」
「この中で一番勇気があったのは、この子だよ」
 警官は諭すように、だがやさしく語りかけた。
 携帯を持ったままの若い男に、今度はデモ隊の初老の男が話しかける。
「…彼はもう呼ばないことにする。意見はともかく、あのようなことを
 言うようじゃ誰の理解も得られないだろうし、何より私も彼と一緒には
 二度とデモをしたくない」
「…すいません、ご迷惑をおかけしました」
 若い男は素直に謝り、初老の男は素直にそれを受け入れる。
 
「うおおおおおおおわあああああああああ!!!!」
 絶叫しながら小太りの男はその場から逃げ出していく。
 
「やっぱり一番の卑怯m…」
「言わない方がいい。言うまでもないことだし」
 警官と若い男は小太りを眼で追いながら半ばあきれながら言うしか
なかった。群集、デモ隊も同じ感情を抱いていただろう。
 不意に初老の男が警官と少女、そして若い男に向き直って言う。
「…私は核を使うこと自体に反対の立場ではある。それでも、反対のために
 反対をするわけじゃない。考えてみると…彼の将来が不安に思えたよ」
「…貴方はきっと、優しすぎるんですね …」
 少女は初老の男にそっと呟いた。
 
--- ---

 そんな状況をぼーっとテレビで見ながらネット掲示板を見る石原。
「あの子超かわいくね?」
「栗〇千〇様に似てるよな」
「あの子と…合体したい…」
「↑LANケーブルで首吊れ今すぐ!」
「逃げてったヤツどっかでみたことあるな…」

 テレビでの喧騒のニュース、ネット掲示板での喧騒を見ながら呟く。
「…平和だなぁ …」
 思わずぼやく。逆に今の石原は実に不安定な気分だ。
 
 フランスの計画が上手くいったら自分が何もする必要はない。一切ない。
 そしてただのニートに戻れる。もうすぐただの無職だが。
 
 だが、上手くいかなかったら?…大丈夫、2度目はある。
 それでも上手くいかなかったら?
 …不意に焦燥感を覚える。
 少なくとも明日の朝までは、眠れそうにない。
 
 もう何度読んだかわからないが、「極秘」のマークが薄れ始めた冊子を
読み直し始める。ネットで関連情報を調べる。そして腕立て、腹筋、背筋…
とにかく体を動かし始める。

 不意に、普通のニートがうらやましくなった。
「別に俺でなくても良いんだよな」
 ふとそう呟いた。武宮の顔が浮かぶ。あのような顔を見たのはアレが
最初で、おそらく最後だろう。やはりもう他に選択肢は武宮のカードの
中にはないのだろうと思われる。
 
「…なんで、いつも俺なんだよ」
 ダンベルを持ち上げながらぼやく。
 持ち上げる武宮、調子に乗せる朴、そして反発する一条。
どいつもこいつもあまりに俺を過大評価してないか、位の一言も言いたく
なる。前に喧嘩した連中もそうだといえる。力士まで用意しやがって。
勝てるかよ普通に考えて…

 訓練弾で砲身直撃、155mm榴弾砲で起爆成功、力士KO…そりゃ過大評価の
一つもされるだろと武宮なら言うだろうが、 そういう状況にならなきゃ
そんなことせずに済んだんじゃないか
と(訓練弾はともかく)。
 いっそのこと死んだほうが楽かもしれないが、こんな結果になるようじゃ
そう簡単には死ねそうにない。だったら無理に死に急ぐこともあるまい。
 
 …体を動かした後ベットに横たわる。
 寝れりゃ良いが寝れそうにない。明日の朝4時からってことは…あと
3時間後、まずはフランス人の技量を見せていただくことになりそうだ。

--- ---
 
 都内にもう一人眠れない男がいた。TVでのニュースを見た後、思う。

 上手くいけば何もせずに済む。
 そして日常に戻れる…はずだ。むしろ戻れないときは…
 すべてはフランスにかかっている。2回のチャンスがある。

 それを超えたとき、我々に手段は残されていない。
 真新しいファイルフォルダに納められた書類を見直す。極秘の文字が
大きく左上に記載されている。普段は金庫に入れている。
 万が一金庫ごと盗まれた場合、発火する装置も用意している。
 
 「Project Seeds」

 石原ならどっかのアニメでも思い出すところだろうが、全くアニメなど
に興味のない30代の一条は先の聖書の一節しか浮かんでこない。
 ただ…思い出したことが全くないわけでもない。
 
 旧約聖書で地に自分の種を撒いた男が神に罰せられる話。
 …向こうじゃ種って言わないだろう。軽くソファの上で苦笑する。
 
 ノアの箱舟も旧約聖書だったな。それにしたってよくも全動物集めた
もんだと思う。昆虫とかはともかく、哺乳類、爬虫類、両生類だけでも
とんでもない種類いるだろう。飼育するのだって大変だろう。
 大体地球上から全て集めるのだけで何年かかることやら。
 そういえばオーストラリアの有袋類も集めたのか?カモノハシとか。
 だとしたら…もうある意味お疲れ様 としか言えない。

 TVのモニターをつける。まだ例のニュースは始まらない。
 始まってるのは深夜アニメくらいだ。
「ばかばかしい」
 一条はソファに身を投げ出し、TVを消した。

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 石原はふと思い出す。
 …こんなときでも深夜アニメってやってるのかな と。
 おもむろにテレビ帝京にチャンネルを合わせる。よかった、や…
 
「って前評判いい新番組じゃねぇか!録画し忘れるとこだった!!

 とりあえず深夜アニメを鑑賞しながら、発射を待つことにした。できたら
緊急速報は出さないでくれと思いながら。当然のように録画は開始済み。
 
「毎週録画しとくか…」
 テレビ帝京がアニメを流さなくなる日はこの分だとしばらく先だろう。
少なくとも間違いなくこの1シーズンは楽しめそうである。PCも立ち上げる。
実況準備も完璧だ。
 あまりの自分の作業速度に感動する石原。俺すげぇ…すばらしいよ俺。

 …人類滅亡まであと900日、現在のところ地球はおおむね平和だった。


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